座談会「いま、うつ病における『パーソナルリカバリー』を考える」 総括編(前編) 当事者と治療者とのコミュニケーション構築に向けて
うつ病のパーソナルリカバリーという概念は、日本では少しずつ知られるようになってきました。しかし、世界的にみても、また統合失調症や双極症と比較しても、うつ病のパーソナルリカバリーの議論が尽くされているとは言い難いのではないでしょうか。
本座談会では、渡邊衡一郎先生の司会のもと、リカバリーを目指す認知療法(Recovery-oriented Cognitive Therapy:CT-R)の開発に携わったGrant先生、パーソナルリカバリーに造詣の深い菊地先生、さらにはうつ病当事者であり、かつ支援活動をされているゆまさん、林さんにご参集いただき、パーソナルリカバリーそのものについて、さらにはその本質について、深く掘り下げていただきました。
前編では、渡邊先生、菊地先生のshort lectureを軸に、パーソナルリカバリーでの当事者-治療者間のコミュニケーションを中心に議論いただきました。
渡邊 衡一郎 先生(司会進行・杏林大学医学部精神神経科学教室 教授)
Paul M. Grant, PhD(Director, Beck Institute Center for Recovery-Oriented Cognitive Therapy) ※オンライン参加
菊地俊暁 先生(慶應義塾大学医学部精神・神経科学教室 准教授)
ゆま さん(自助グループReOPA 代表)
林 晋吾 さん(encourage運営会社 代表取締役)
「うつ病のリカバリーは、もっと論じられるべき課題ではないでしょうか」(渡邊先生)
<渡邊先生Short Lecture>
リカバリーの概念
渡邊 リカバリーは、1960年代の公民権運動や統合失調症当事者の経験を端緒として1980年代から米国を中心にして広がった概念です1。そこから派生して、精神疾患の当事者が、症状が続いたとしても生きることの意味や目的を見出し、充実した人生を生き、希望する人生の到達を目指す過程(プロセス)をパーソナルリカバリーと呼んでいます2,3。
1991年には、米国・Pittsburgh大学のグループが治療者側からみた、うつ病の寛解や臨床的なリカバリーを提唱しました4。つまり、リカバリーは当事者側と治療者側、双方から提起された概念です。
パーソナルリカバリーについて検討された
CHIMEの概念は、当事者に響かなかった
渡邊 パーソナルリカバリーのプロセスについて、2011年にLeamyらが重篤な精神疾患(うつ病ではなく、統合失調症と双極症)を有する当事者の手記やナラティブインタビュー、研究からConnectedness(つながり)、 Hope and optimism about the future(未来への希望と楽観)、Identity(アイデンティティ)、Meaning in Life(生きることの意味)、Empowerment(エンパワーメント)の5つの要素にまとめました。それがCHIMEです5。ところが2017年、StuartらがCHIMEの根底にはDifficulties(困難)があるとし、CHIMEという5要素に対する両価性を指摘しました6(図1)。つまり、つまずき・葛藤・苦しみといった困難があり、それを克服してCHIMEがあるのだというのです。これよって多くの方の理解が得やすくなりました。
図1 重篤な精神疾患におけるパーソナルリカバリーの枠組み(CHIME-D)
Leamy M, et al.: Br J Psychiatry. 2011; 199(6), 445-452.
Stuart SR, et al.: J Ment Health. 2017; 26(3): 291-304.より作図
CHIME については印象的なエピソードがあります。以前、ある学会のセッションで、CHIMEについて当事者の方に感想をお聞きする機会がありました。私は内心、CHIMEに対しどのようなコメントが頂戴できるか楽しみにしていたのですが、ご発言は意外なもので「私たちの人生をこのような“キラキラワード”で言われても、ちょっとピンと来ない」と仰るのです。会場がざわつき、その場を収めるために「私たち治療者は、CHIMEという考えをベースとして、当事者のパーソナルリカバリーを支援すべきではないか」などと一生懸命に説明した記憶があります。
私はそれまで「CHIMEのような“キラキラ”とした目標を当事者の方と一緒に探していきましょう」と話していたわけですが、このセッションを境に、自らの考えを再考し始めました。
菊地先生や私は現在、CHIME-D(図1)がパーソナルリカバリーのポイントだと紹介しています。ただ、これでもまだ結論には達していないように感じます。
また驚くべきことに、海外においても、うつ病のリカバリーについては統合失調症や双極症に比べて格段に取り上げられることが少ないのです。私はもっと論じられるべき課題ではないかと考えています。
「パーソナルリカバリーは結果重視ではなく、どれだけプロセスに重きを置けるかが大事なのでは」
(ゆまさん)
<Discussion>
パーソナルリカバリーが目指すところ
~当事者の視点、治療者の視点~
渡邊 うつ病におけるパーソナルリカバリーについて、ご意見をいただけますでしょうか。
Grant CHIME-D自体は素晴らしい概念ですが、うつ病当事者の人生は日常生活の連続です。当事者の方がCHIMEを“キラキラワード”と表現したのは、最も気分が落ち込んでいるときは特に、CHIMEが身近に感じられないと思ったからではないでしょうか。治療者は当事者が何を求めているかを見出すことが大切だと思います。
ゆま 当事者の方と同様に、CHIMEは“キラキラワード”という印象を受けました。うつ病と診断された時点で病気の人というアイデンティティが確立されてしまいますし、気分がどん底の状態で「希望」、「生きる意味を探そう」、「個人の責任で発見して」と言われても、本人はしんどいだけです。
また、パーソナルリカバリーではプロセスが強調されているものの、このプロセスというのがすごく曖昧だと思っています。社会的にも、医学的な観点から見ても、結果を重視しがちな社会の中で早く仕事に復帰する、早く治るなど、やはり結果重視になってしまう。結局、白か黒かの、最終的な結果だけで判断がなされるように感じます。どのようにプロセス、すなわち “人生の道をつくっていくのか”ということに重きを置けるかが大事だと思いました。
また、当事者は回復中に自然に生き方を模索し、自分なりのリカバリー要素を見つけています。治療者には本来当事者が持っている、もう歩み始めているその力を一緒に引き出してあげて、より良い方向に一緒に進んでいってほしい。当事者は苦しみの中からいろいろなものを生み出していく力があると思っています。
菊地 CHIME-Dの概念は当事者に見せる必要はないと思います。治療者側が意識すべきところとして、知っていればよいのではないでしょうか。
実は先日、ある当事者に「パーソナルリカバリーを目指すことはとても苦しい」と打ち明けられたことがありました。「言われた通りにリカバリーしなければ」と強く思うからだそうです。いわゆる“べき思考“に囚われてしまうのです。
これは、当事者や治療者が目指すべき方向ではありません。パーソナルリカバリーには、“人生の道”を自然な形でつくり、そこまでたどり着くまでの長い道のりを当事者と治療者が一緒に旅していく、という意味があるのではないかと私は思います。
渡邊 治療者は一昔前まで、症状を改善させて復職などの社会的なリカバリーを支援することに注力していました。やはり当事者それぞれで目指すパーソナルリカバリーが違うことを念頭に置き、「では目の前の当事者は?」と考えながら診療するのが良いように思います。
林 うつ病当事者がリカバリーを主体的に取り組めるタイミングではなかったり、取り組みたいと思うことがなかったりすると、周囲に勧められてもリカバリーが進まないと私は考えます。私の経験をお話しすると、一歩踏み出せたのは「こういう風に人生を歩みたい」と思い始めた時期からでした。困難と強く向き合えるようになったのです。
CHIME-Dも、悪いことばかりではないと思います。「empowerment」の中に「強みに焦点を当てる」とありますが(図1)、私はうつ病になって自分の強みを再発見し、これまで持っていた自分らしさを再認識しました。この、「らしさ」に合う環境を選ぶと自分にとってプラスではないかと思い、生き方をぐっと変えるという方向にシフトできました。
Grant 当事者のお二方が、まさに内なる力・強みの発見について言及されていましたね。多くのうつ病当事者は「自分はダメな人間」といった無価値観に苛まれますが、パーソナルリカバリーは、当事者自身が無価値ではないことに気づき、内なる力・強みを発見し、“人生の道”を切り開くことなのだと私は考えます。
CHIME-Dは、当事者一人ひとりの強み、困難、希望が異なることを理解するための、治療者側の概念と捉えると良いでしょう。実臨床で治療者が当事者にCHIMEを伝える必要はなく、当事者の内なる力・強みを伸ばす手助けをすることが大切ですね。
「当事者の半数以上が医師に事実を伝えていない、という現状を打開するためには、当事者との関係の在り方が重要」(菊地先生)
<菊地先生 Short Lecture>
Theyではなく、Weの関係を構築して
パーソナルリカバリーにつなげる
菊地 私は、精神疾患の当事者が認識する世界に興味を抱いたことがきっかけで、認知行動療法の研究を進めています。
当事者と治療者とのコミュニケーションについて大きな乖離が生まれていることは明確です。例えば、あるアンケート調査を行ったところ、うつ病の当事者に「6か月以上抗うつ薬を飲んだほうが良いと説明している」医師が72%だったのに対し、「きちんと説明を受けた」と回答した当事者は34%、「何も説明を受けていない」は56%でした7。問題はどちらが真実かどうかではなく、「治療者の説明が伝わっていない」という事実です。ここに情報のギャップが生じているのです。
また我々が行った調査では、当事者の50%以上が症状や日常生活について医師に事実を伝えられていないことも示されました8。事実を伝えない理由のトップ3は、順に「主治医と話すことが難しいと感じた」「主治医に話しても、真面目に取り上げてもらえないと思った」「事実を伝えることが恥ずかしいと思った」であり、その他にも「主治医を信じられなかった」という残念な回答もありました8。そして、医師とのコミュニケーションに不満があると、服薬中断率が高まることも示されました8。
私は、この状況を打開するために、当事者と治療者の協働的経験主義(collaborative empiricism)が重要だと考えています。当事者-医療者が第三者的な「Theyの関係」(図2上部)ではなく、「Weの関係」(図2下部)をつくることで、当事者がどういう方向に進みたいか共に考えていくことができ、パーソナルリカバリーにつながると考えています。
Grant 「医師を信頼しない理由」は、大変インパクトの強い、興味深いデータですね。
図2 協働的経験主義 TheyからWeへ
菊地俊暁先生ご提供
「初診時における医療者とのコミュニケーションの困難さが、不信感へとつながってしまうのかもしれません」(林さん)
<Discussion>
当事者と治療者のコミュニケーションは
構造上の問題や、うつ病の特性から困難を極める
林 情報ギャップの問題では、構造上の問題もあるように感じました。現在の診療報酬のもとでは、初診は診療時間が比較的長めに取れる一方で、再診以降は時間を短くせざるを得ないと思います。そのような状況であるため、先生方は初診時に多くの情報を提供くださいますが、当事者のコンディションはかなり悪い状態であり、説明を聞いても理解ができなかったり覚えていなかったりすることが予想されます。そのような中で、例えば再診時に抗うつ薬が漸増されると、初診時に説明を受けていてもそれを忘れてしまい、「なぜ増やされているのか…勝手に増やしているのか」などと、思いもよらない不信感を抱くことにもなりかねません。
ゆま Shared decision making(SDM:共同意思決定)の考え方は素晴らしいと思いますが、うつ病の特徴(判断力・思考力・記憶力・言語表現力の低下)を考えると、症状が重いときには、当事者と治療者のコミュニケーション自体が困難なように思います。また、待ち時間が長時間に及ぶとそこでエネルギーを消費してしまい、診察時にはほとんどエネルギーが残っていないこともありますから、一刻も早く帰りたくて「もういいです。同じ薬出してください」となることもあります。
さらに、当事者と治療者の間には知識量のギャップもあるので、短い診療時間でそのギャップを埋めるのは難しいのではないでしょうか。
Grant 今、ご指摘された「最も症状が重い初診時に、当事者は医師の説明を理解しにくく、結果として医師とうまく関われない」という事実は、私たちが注目すべき重要なポイントだと思います。菊地先生がお話しされていたように、よりよいコラボレーションができるように治療者側で出来得る限り調整が必要だと思いました。
渡邊 従来、うつ病の当事者は生真面目な方が多いとされていましたが、1か月で約1/3が初診時の抗うつ薬治療を継続していなかったという報告があります9。
私は、時間を確保できる初診時のinitial contactが大切で、情報提供というよりも「この医師なら、意見に耳を傾けてみようか」と当事者に思っていただくことが重要だと考えます。
ゆま 最初の印象は重要ですね。医療機関の受付の方の対応や電話対応も大切です。当事者は、納得できないと薬物療法も「なぜ飲まなければいけないのか」と思いがちです。
Grant 医師が何かを提示するときは、当事者がもっと元気になって「分かりました。ちょっとやってみようかな」と決断できるようになるまで、関わっていくことが重要と考えます。
なお、服薬の遵守は、うつ病に限らず治療における最も難しいことのひとつだと思います。実際に私も得意ではなく、主治医から指摘を受けます。ですから、うつ病の当事者が処方通りに最後まで服薬を行うのは、さらに困難だろうと想像します。
「当事者の“best self”、”自分の強み”や”自分が望んでいること”を発見するには、当事者との協働が大切です」
(Grant先生)
当事者と治療者との
コミュニケーションギャップ解消に向けた解決策
林 情報ギャップの解決策として、当事者向け資材の活用などが考えられます。症状のつらさを言語で表現するのが難しいですから。
渡邊 おっしゃる通り、資材の活用は有効だと考えます。私は診察で「あなたはうつ病だと思われます。今日は特にAとBを強調しておきますね」と、資材を使って説明した箇所(A、B)に〇を付けた後、「こちらの資材をお持ち帰りいただき、調子が良いときにご一読ください。次回、どんな方向性で治療するか決めましょう」と時間を空けるようにしています。すると、当事者は周りの人に聞くことも、インターネットで調べることもできます。ちょっとした宿題のような位置づけの資材を活用しています。
ゆま 当事者と治療者が共通で確認し合える資材は、共通認識が得られやすいと思います。逆に、再診以降の5分診療で資材なしでは、認識が合わせられないのではないかと思います。
菊地 同感です。渡邊先生とは、ビジュアルを多用した資材が機能するのではないかと話すことがあります。
渡邊 近年、measurement-based care(MBC)が注目されています。うつ病の症状をスコア化して評価する手法ですが、改善度や課題が明確になると賛同する意見と、当事者の負担が増して嫌がられるという理由で反対する意見がありますが、どのようにお考えになりますか。
ゆま 一長一短だと思います。MBCを行うタイミングによってはしんどい作業になると思いますし、「治療しているのに良くなっていない」ことが分かって落胆したり、「良くならなければ」と、“べき思考”が強まったりするケースも考えられます。治療の進み方は人それぞれで異なるので、一律ではなく、オーダーメイド的に使われるといいですね。
Grant 指標という意味では、当事者と接触したときにその当事者のbest self(その人が最も自分らしく、「最高の状態」と感じているとき)と「人生で望んでいること」を把握することが大切だと私は考えます。早期にわかるとより良いですね。もちろん薬物療法も、それらを達成するための一助となりえますが、薬物療法以外の介入の仕方も考える必要があります。(後編へ続く)
<プロフィール>
渡邊 衡一郎 先生
杏林大学医学部精神神経科学教室 教授
慶應義塾大学医学部卒業。立川病院神経科、大泉病院、慶應義塾大学医学部精神神経科学教室を経て、2012年に杏林大学医学部精神神経科学教室に着任、2014年より現職。2022年7月より日本うつ病学会理事長に就任。
気分障害全般を専門とし、特に難治性うつの診断には定評がある。診療で一番重視しているのは、当事者とのコミュニケーションであり、治療の際は、患者にいくつかの選択肢を与えて話し合いのうえで決定する「Shared Decision Making (SDM)」を実践している。うつ病治療における「リカバリー」の達成にも力を入れている。
Paul M. Grant, PhD
The Beck Institute for Cognitive Behavior Therapy
Director of Research, Innovation, and Practice, CT-R
ベック研究所 CT-R(Recovery-Oriented Cognitive Therapy:リカバリーを目指す認知療法)センターのディレクター。Aaron T. BeckとともにCT-Rを考案し、国内外でCT-Rの開発、試験、実装、革新を行うための大規模プロジェクトを指揮した。
主な著書に『Recovery-Oriented Cognitive Therapy for Serious Mental Health Conditions』(共著)、『Schizophrenia: Cognitive Theory, Research, and Therapy』(共著)、『Thriving Together Through Schizophrenia』(近刊)などがある。
菊地 俊暁 先生
慶應義塾大学医学部精神・神経科学教室 准教授
慶應義塾大学医学部卒業。同大学院修了後、コロンビア大学精神科に留学。杏林大学医学部、日本医療研究開発機構(AMED)を経て、2018年より慶應義塾大学医学部精神・神経科学教室に勤務。2024年より現職。認知行動療法研修開発センター理事も併任。
認知行動療法をはじめとしたうつ病治療に関する研究等を行っている。パーソナライズ化された うつ病の最先端治療を目指した「慶應大学うつ病治療最適化プロジェクト(OPTIMA-D)」の研究開発代表者、厚生労働省認知行動療法研修事業スーパーバイザーなども務める。
ゆま さん
自助グループReOPA 代表
社会人2年目のころにうつ病を発症。回復への途上で自助グループと出会い、助けられたことから、2012年にReOPA(レオパ)の前身団体「東京うつ病友の会」を立ち上げる。2018年には、新たにReOPAを設立。うつ病当事者として、学会での講演やセミナーなども精力的に行っており、当事者にとって必要な社会資源や制度に関する情報を得る機会づくりにも力を注いでいる。
林 晋吾 さん
encourage運営会社 代表取締役
社会人になってからパニック障害を発症、その後、うつ病を併発。当事者としての経験から、うつ病の再発で苦しんでいる人の力になりたい、事業を通して課題を解決していきたいと考えるようになり、起業を決意。精神疾患当事者を支える家族向けのサービスが不足していることを感じ、2017年にうつ病患者の家族向けコミュニティサイト「encourage(エンカレッジ)」を立ち上げる。