座談会「いま、うつ病における『パーソナルリカバリー』を考える」 総括編(後編) 当事者の内なる力を引き出すために
うつ病のパーソナルリカバリーという概念は、日本では少しずつ知られるようになってきた。しかし、世界的にみても、また統合失調症や双極症との比較においても、うつ病のパーソナルリカバリーの議論が尽くされているとは言い難いのではないでしょうか。
本座談会では、渡邊衡一郎先生の司会のもと、リカバリーを目指す認知療法(Recovery-oriented Cognitive Therapy:CT-R)の開発に携わったGrant先生、パーソナルリカバリーに造詣の深い菊地先生、さらにはうつ病当事者であり、かつ支援活動をされているゆまさん、林さんにご参集いただき、パーソナルリカバリーそのものについて、さらにはその本質について、深く掘り下げていただきました。
後編では、Grant先生のshort lectureを軸に、「うつ病におけるリカバリーを目指す認知療法」の概要、および日本での応用について議論いただきました。
渡邊 衡一郎 先生(司会進行・杏林大学医学部精神神経科学教室 教授)
Paul M. Grant, PhD(Director, Beck Institute Center for Recovery-Oriented Cognitive Therapy) ※オンライン参加
菊地俊暁 先生(慶應義塾大学医学部精神・神経科学教室 准教授)
ゆま さん(自助グループReOPA 代表)
林 晋吾 さん(encourage運営会社 代表取締役)
「治療者の役割は、当事者が思い込みに振り回されず、ポジティブな考えを持てるよう希望を育むことです」(Grant先生)
<Grant先生 Short Lecture>
うつ病における
リカバリーを目指す認知療法とは
Grant 私からは、いつ、何を、どのように協力し合って、リカバリーを目指す治療を作り上げていくのかをお伝えしつつ、「アスピレーション」の概要や参考となる考え方などをお話ししたいと思います。
まず、認知行動療法の父と称されるAaron Beck先生のモード理論を説明します(図1)。
図1 Aaron Beck先生のモード理論
Paul M. Grant先生ご提供
「うつ病または自殺願望モード」では、うつ病当事者はポジティブな信念へのアクセスを失い、ネガティブな感情に支配されています。すると失敗や拒絶といったことに囚われ、引きこもりに代表される「回避/撤退」や、苦痛から逃れる唯一の方法が自殺という「Reactivity(反応性)」につながってしまいます。注意の範囲が狭く認知の幅が制限された状態であり、「自分は弱すぎる」、「エネルギーが枯渇している」、「自分には価値がない」、「他人が自分のことを気にしてくれない」といった思い込みが強いことも特徴です。つまり、認知の幅が制限されることで他の考え方をすることが難しくなるのです。
一方で「適応モード」は「自分らしい」、「考えることが楽に整理できる」、「成功が期待できる」、「私は良い人間だ」、「(人生を)コントロールできる」、「他人が私に気をかけてくれる」といったベストセルフ(最も自分らしいと感じているとき)の状況下にいることを指します1。
我々の役割は、当事者のベストセルフを引き出すような体験ができるように手助けを行い、それによってポジティブな考え(Positive Beliefs)に気づけるようにすることです。アスピレーション(心の底から人生に求める願望)は希望を育む1つの方法であり、希望があれば人生を送ることができます。そして本来、人生にはさまざまな選択肢があるのです。アスピレーションを追求するにつれて、ますますベストセルフを引き出せるようになり、ストレスや疑念を感じたり、挫折を経験したりして「うつ病または自殺願望モード」が生じたとしても、「適応モード」に切り替えられるようになります。
理論はここまでにして、より実践的にお伝えするために仮想症例を提示しましょう(図2)。
図2 仮想症例 適応モードへの変遷とアスピレーションの強化
簡単ではありますが、重度のうつ病仮想症例を示しながら、当事者との協働によって引き出したベストセルフから適応モードへの移行、そして、アスピレーションに根付いた行動へと展開する治療の流れについてお話しさせていただきました。リカバリーを目指す認知療法(Recovery-Oriented Cognitive Therapy:CT-R)は、いま説明したことが軸になる治療です1。
「人となりや夢、生活の傾向などを過去の情報から聞き出すことによって、その人らしさやアスピレーションを探っています」
(菊地先生)
<Discussion>
当事者それぞれが有するアスピレーション(将来への願望)は
うつ病のリカバリーを実現し得る持続的なエネルギーをもたらす
渡邊 アスピレーションという、日本ではまだ浸透していない概念についてご紹介いただきました。また、リカバリー関連の介入は、うつ病治療が奏効し、症状がかなり安定してから行うというイメージがありますが、Aさんの例(図2)を聞くと、重篤な症状をもった状況でも介入を始めていたことが印象的でした。菊地先生、日本でGrant先生の治療を取り入れるとしたら、どのようにしていけばよいでしょうか。
菊地 日本の当事者からは「自分がどうなりたいか」という質問に対する回答がなかなか出てこないのが実情だと私は思います。そのため、私の場合は「小さい頃はどんな風に過ごしていたか」といった、過去から人となりや夢、生活の傾向(インドア/アウトドア)などを探っていきます。その情報をもとに、その人らしさやアスピレーションを探り、活かしていくことが多いでしょうか。対話の持ち方についてGrant先生にお考えを伺えますでしょうか。
Grant 最初に、当事者-治療者間での信頼関係の構築が大前提になることはお伝えしなければなりません。そのうえで、アスピレーションは個々の当事者で異なり、アプローチ方法も当事者ごとに大きく異なることを肝に銘じておく必要があります。
菊地先生のやり方は実践的だと思います。幼少期の質問で良い回答が得られなくても、「では、これまでにやりたいと思っていて、やっていないことは何ですか」という切り口で、夢を探る方法もあるでしょう。私の経験からすると、多くの当事者はずっとやりたかったこと、夢中になれることを持っていますので、治療者はこのような手法で当事者の「やりたいこと」、すなわちアスピレーションを引き出せると思います。
アスピレーションの本質は未来に向けた意味のある個人的なビジョンであり、持続的なエネルギーをもたらし、うつ病からのリカバリーを後押しする行動の原動力となります。それによって、困難なことも乗り越えられるようになりますし、人生を生き抜くことができるようになるのです。
菊地 ありがとうございます。Grant先生が執筆されたCT-Rの教科書1も大いに参考になると思います。
「うつ病の方は希望を抑圧しているのであって、希望を失っているわけではないのですね」(渡邊先生)
うつ病の当事者は希望を失っているわけではない
希望を抑圧しているという視点で接し、希望を見出す
渡邊 ベストセルフ・アスピレーション・CT-Rについて、当事者の方々はどのような感想を持たれましたか。
ゆま 生きていくには選択肢がたくさんあること、そして、アスピレーション(希望)を「うつ病になった後からでも考え始めてよい」という考え方は大切だと思いました。
実際にアスピレーションを引き出し、イメージ化し、意味付けしていく作業は非常に大変だと思います。うつ病が重いときは「(社会に貢献できてもいないのに)希望なんて言ってはいけない」というネガティブな気持ちや絶望感が強いのですが、それらを解きほぐしながらアスピレーションを引き出すためには、やはり当事者それぞれにアプローチを変える必要があるように思いました。
渡邊 私は「うつ病当事者は希望を失っている」と思っていたのですが、ゆまさんのお話を聞いていると「希望を考えられない、希望など言ってはいけない」、つまり希望を抑圧しているのであって、希望を失っているわけではないのですね。
ゆま 当事者の方々も、希望を抑圧していることに気づいていないかもしれません。言葉では「希望なんてありません」と言っていても、「こう生きたい」といった逆の気持ちを持っているケースは多そうです。
私が当事者と接していて強く思うのは、心の底には希望をお持ちだということです。例えば「本当は、私は絵画が好きだけど、お母さんから勉強しろと言われてきたから、勉強が好きと言ってきた」といった背景がある当事者に対して、うつ病になった時点から紐解いていき、本来の希望や思いを探っていく、といったプロセスになると思います。
菊地 「うつ病で絶望が強いものの、希望も奥底にある」、といった状態のように思います。すなわち、両価的(アンビバレント)な状況のように思いました。私たち治療者は、このようなアンビバレントな状態をきちんと把握していくことが重要だと思います。
渡邊 目から鱗が落ちました。希望はお持ちでも、見えにくいケースが多いのですね。その希望をクローズアップするのが、Grant先生が説明された方法なのだと認識しました。
林 私も、自殺願望が強い時期がありました。その時には希望など感じませんでしたが、心の奥底には「母ともう少し話をしたい」、「母にとって良い息子でありたい」という希望があり、そのような思いが自らの命をつなぎとめていたように思います。付け加えると、希望は経時的に変わってくることも念頭に置くと良いかもしれません。うつ病の症状が改善してくると、「自分の人生をどのように送りたいか」などと、希望の内容が変わってきます。
アスピレーションを引き出すプロセスに関しては、私自身を振り返ると、うつ病になるまで「人生をどのように送りたいか、その意味は何か」と考えることはありませんでした。思考をうまく巡らせることができない当事者も多いかもしれませんので、治療者の助けを借りたいところです。
Grant 私が話した内容と、当事者の方々のご経験が重なったようで、嬉しく思います。お話を伺っていて、お二方はピアサポートなど、自分と同じ疾患で苦しむ方々を助けるさまざまな活動を通じて、自らのアスピレーションを追及されているように思いました。
うつ病早期におけるアスピレーションのコツを、1つ強調したいと思います。それは、個人の価値感を反映する「なりたい将来像」を具体的に持つことにより、ポジティブ思考が強化される、ということです。
あるうつ病当事者の方は、常に自分の弱さを感じていたものの、心の奥底で自分の強さにも気づいていました。両価性ですね。彼はスーパーヒーローが好きで、それは強さの象徴(イメージ)でもありました。そのため、スーパーヒーローのフィギュアの盾に「自分は強い」と書いた紙を貼り、毎朝見て「自分は強い」と言い聞かせていました。
「アスピレーションを探る診療は、当事者にとっても治療に前向きになれそうです」(ゆまさん)
希望を探索する診療は
当事者も治療者もポジティブなものになる可能性
渡邊 皆さんの話を伺って、臨床に活かさなければならないという思いを強くしました。特殊な治療にしてはいけませんね。
ゆま Grant先生のご発言にもありましたが、自助グループでアスピレーションを強化していることはありますね。「私は、実はこうしたい」というお話を当事者からはよく伺います。もし診察で治療者からそんな問いかけがあったら、診察時間がポジティブに変わると思います。
菊地 当事者の方々のベストセルフ、つまり「どうなりたいか」を一緒に探っていくわけですから、本質がシンプルでわかりやすいです。
渡邊 「家族関係、会社、お金や年齢のこと、『こんなこと言ったら悪い』など、世間のしがらみを全て取り払ったとき、率直にどんなことをしたいですか」と聞いてみることでしょうか。回答は「絵描きになりたい」、「ハワイに行きたい」になるかもしれませんが。
ゆま でも、当事者は前向きな気持ちになれますね。ピアサポートでもこのようなことはできますが、当事者と治療者の間に希望に関する共通認識があることが肝要です。
「治療前に戻ろうという気持ちが強いときには、うまく回復へとつなげられませんでした」
(林さん)
リカバリーは、元に戻ることではなく再構築
新しい生き方をつくり上げていくこと
林 治療中を思い返すと、「治療前の自分になりたい」という気持ちが強かったのですが、私の場合はその考えだと結局うまく行きませんでした。元に戻ろうと何度チャレンジしても、また気分が落ちていったのです。それを繰り返しているうちに何かが違うと感じるようになり、「本当の自分はこうありたい」という考えが強まりました。そうすると「気分が良い」、「達成感がある」、「無理がない」と感じられるようになり、回復に向かったのです。
その経験から考えると、元に戻ろうとするのではなく、Grant先生も仰ったように視点を変えてみて、“新しい生き方“を再構築することがリカバリーなのだと思いました。
菊地 元に戻るということは、しがらみがあるということと同じなのかもしれません。リカバリーは、returnではなくreconstructionなのでしょう。
座談会に参加した感想
渡邊 最後に、皆さんからコメントを頂戴したいと思います。
林 パーソナルリカバリーでは、対話やコミュニケーションが大事だと改めて思いました。自分の話も提供させていただきましたが、議論の中で自分の経験が再認識され、解釈が変わり、自分の生き方の再構築にもつながっているような感覚がありました。自分の中でのパーソナルリカバリーが継続していることを感じることができました。
ゆま パーソナルリカバリーの難しさを改めて感じたことは確かです。ただ、本日の議論を通じて、その難しさを超えるだけの可能性もあるのではないかと思い始めました。また、アスピレーションについては、自助グループで「良いものだろう」と何となく思っていたことが、Grant先生のお話で理論化され、私の中で腑に落ちました。
当事者の経験は“宝”であり、苦しんだ経験を今後の人生に活かし、再構築するのがパーソナルリカバリーの重要なポイントであることが分かりました。
Grant 私も、当事者の方のお話から多くを学びました。治療者の立場で「こうすべきだ」と伝えるのではなく、当事者のやりたいこと・希望に関心をもつことの大切さを再認識しました。やりたいこと・希望に関心を持てば当事者との信頼関係にもつながり、菊地先生が示されたWeの関係(前編・図2)を構築することになると思います。
本日のディスカッションは興味深く素晴らしい時間を過ごすことができました。
菊地 パーソナルリカバリーやアスピレーションといった概念が、少しずつ広まっていく期待が持てる座談会でした。当事者間でも広がっていくでしょうし、治療者側も変わっていくときなのではないかと思います。
また、Grant先生のお話を伺って、認知行動療法も時代を経て変化していると感じました。この変化を精神医学領域で伝えていかなければいけません。今回お集まりいただいた皆さんと一緒に、パーソナルリカバリーをさらに上のステージへ引き上げていきたいと思います。
実臨床では、当事者と治療者が一緒に再構築を目指すチャレンジをして、新たな知見を見つけていきたいと考えています。
渡邊 本座談会では「ベストセルフ」という言葉にインパクトを受けました。まさにパーソナルリカバリーのキーワードになると思います。
お話を伺った当初は、希望やなりたい自分について、重症の方とどのように話題にするのかイメージができなかったのですが、Grant先生のご説明や当事者の方々のお話を伺い、本来、ポジティブな部分は誰も持っていて、一緒に寄り添いながら探すことの大切さについて学ぶことができました。
そして、アスピレーションこそが当事者の方とのコミュニケーションを良好にするだけでなく、当事者のパーソナルリカバリーにつながっていくということを、改めて実感しました。
本日はとても有意義な会になりました。皆さん、ありがとうございました。
<プロフィール>
渡邊 衡一郎 先生
杏林大学医学部精神神経科学教室 教授
慶應義塾大学医学部卒業。立川病院神経科、大泉病院、慶應義塾大学医学部精神神経科学教室を経て、2012年に杏林大学医学部精神神経科学教室に着任、2014年より現職。2022年7月より日本うつ病学会理事長に就任。
気分障害全般を専門とし、特に難治性うつの診断には定評がある。診療で一番重視しているのは、当事者とのコミュニケーションであり、治療の際は、患者にいくつかの選択肢を与えて話し合いのうえで決定する「Shared Decision Making (SDM)」を実践している。うつ病治療における「リカバリー」の達成にも力を入れている。
Paul M. Grant, PhD
The Beck Institute for Cognitive Behavior Therapy
Director of Research, Innovation, and Practice, CT-R
ベック研究所 CT-R(Recovery-Oriented Cognitive Therapy:リカバリーを目指す認知療法)センターのディレクター。Aaron T. BeckとともにCT-Rを考案し、国内外でCT-Rの開発、試験、実装、革新を行うための大規模プロジェクトを指揮した。
主な著書に『Recovery-Oriented Cognitive Therapy for Serious Mental Health Conditions』(共著)、『Schizophrenia: Cognitive Theory, Research, and Therapy』(共著)、『Thriving Together Through Schizophrenia』(近刊)などがある。
菊地 俊暁 先生
慶應義塾大学医学部精神・神経科学教室 准教授
慶應義塾大学医学部卒業。同大学院修了後、コロンビア大学精神科に留学。杏林大学医学部、日本医療研究開発機構(AMED)を経て、2018年より慶應義塾大学医学部精神・神経科学教室に勤務。2024年より現職。認知行動療法研修開発センター理事も併任。
認知行動療法をはじめとしたうつ病治療に関する研究等を行っている。パーソナライズ化された うつ病の最先端治療を目指した「慶應大学うつ病治療最適化プロジェクト(OPTIMA-D)」の研究開発代表者、厚生労働省認知行動療法研修事業スーパーバイザーなども務める。
ゆま さん
自助グループReOPA 代表
社会人2年目のころにうつ病を発症。回復への途上で自助グループと出会い、助けられたことから、2012年にReOPA(レオパ)の前身団体「東京うつ病友の会」を立ち上げる。2018年には、新たにReOPAを設立。うつ病当事者として、学会での講演やセミナーなども精力的に行っており、当事者にとって必要な社会資源や制度に関する情報を得る機会づくりにも力を注いでいる。
林 晋吾 さん
encourage運営会社 代表取締役
社会人になってからパニック障害を発症、その後、うつ病を併発。当事者としての経験から、うつ病の再発で苦しんでいる人の力になりたい、事業を通して課題を解決していきたいと考えるようになり、起業を決意。精神疾患当事者を支える家族向けのサービスが不足していることを感じ、2017年にうつ病患者の家族向けコミュニティサイト「encourage(エンカレッジ)」を立ち上げる。
座談会取材、撮影:ルンドベック・ジャパン Progress in Mind Japan RC
取材日:2024年6月9日
場所:Rebase東京(東京都新宿区)